木村です。
おそらくブログが回って来るのが3月までに今回ともう1回だと思われるので、この前の蓋ざんまいと3年間の横国キャッパー生活を2回に分けて書き残します。
今年の蓋ざんまいはチームを組む段階から自分を含めた5人を指名して、横国史上初の優勝を目指して挑んだわけです。なので本来は上級生チームっていうのはちょっとというかかなり違ったんです。なんか知らぬ間にそうなってただけです。
自分で自分をさいつよチームに指名しといて成績残さないとって話ですけど、まぁ十分働いたと思います。二塁打3本に大量の四球。たぶんチームでいちばん塁出ました。
さて、そんなキャッパー生活の始まりはツイ廃時代にキャップ野球おもしろそー的なことを呟いたら○藤くんからDMを頂いた、19年5月に遡ります。トントン拍子でチームのLINEに入ることになり、その時は名前を”Sai”に設定しており、そのまま現在まで”さいさん”と呼ばれるようになるわけです。
最初の大きい出来事といえば、やはりドデカミン杯でしょう。個人的にはド杯と呼んでます。その頃にはスタメン扱いとなり、佐藤山下の後の3番打者を任されました。初戦のいっぱし戦は初先発の任を受け、しっかり仕事を果たし、京大に挑みます。完敗すぎて書くことがありません。
次は佐倉ざんまいですね。ここからトーナメント全敗伝説が始まりました。なにも出来ずに予選3敗して、2日目はライブに旅立ちました。この頃は声オタ時代です。夜にいっぱしの宿で酒飲んだだけです。他は印象なし。
秋になるとリーグに出るようになりました。投手としては先発する試合が増え、なんだかんだ7登板。5勝を挙げ、自信をつけました。反対にバッティングは絶不調。終盤までどこぞの○嶋くんと1割前後の最下位を争う事態になりましたが、最終戦でマルチして回避しました。ほんとです。
年が明けると奈良遠征がありました。行きの車はなぜかほとんど自分の運転でした。どいつもこいつも寝やがって。ここで第二の実家となる今○邸を初訪問。ここから交流が始まりました。
春の東西が潰れ、代わりの横浜交流会に飛び入り参戦しました。ここらできングやそうたなど有力勢と初対面を果たした記憶があります。記憶に自信はございません。
上巻ではここまで。
3年編からは下巻に続きます。
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